沿革

1910年代

1913(大正2)年 
  • 山室仁太郎(27歳)、当時の浅草区南清島町に 古紙問屋「山三商店」(「山室商店」の前身)を開業

1920年代

1923(大正12)年 
  • 同地に木造3階建て社屋を建設。5か月後の関東大震災で焼失し、木造2階建て新社屋を再築。
1929(昭和4)年 
  • 高崎板紙株式会社(現 王子マテリア株式会社)と取引開始

1930年代

1932(昭和7)年
  • 社屋を浅草区永住町(現在の本社所在地)に移転
1933(昭和8)年
  • 山室仁太郎、東京市議会議員に当選
1938(昭和13)年
  • 第1号オート三輪を購入
1939(昭和14)年
  • 「株式会社山室商店」設立
  • 山室仁太郎、代表取締役社長に就任

1940年代

1944(昭和19)年
  • 太平洋戦争激化により休業(東京大空襲にも奇跡的に社屋は戦火を免れた)
1946(昭和21)年
  • 再開業
1947(昭和22)年
  • 戦後初めての社員旅行を敢行(熱海)

1950年代

1950(昭和25)年
  • 朝鮮戦争勃発(〜昭和28年)。戦争特需による「三白景気」が到来し紙パ関連業界好景気となる
1951(昭和26)年
  • 山室仁作(26歳)、東京都議会議員選挙に立候補、惜しくも落選
1954(昭和29)年
  • 山室仁太郎、東京都実業精励賞受賞
1956(昭和31)年
  • 山室仁太郎、東京製紙原料協同組合 初代理事長に就任
1957(昭和32)年
  • 山室仁太郎、黄綬褒章受章
  • 「丸仁製紙株式会社」(富士市)設立(平判チリ紙製造)
1958(昭和33)年
  • 本州製紙株式会社富士工場(現 王子マテリア株式会社)へ新聞古紙を白板紙の原料向けに納入開始。この時に新聞古紙の脱墨処理(DIP)が当工場で開発導入されている。
1959(昭和34)年
  • 山室仁太郎死去(2月18日、享年73歳)。従六位勲六等瑞宝章を追贈さる(業界初の叙位叙勲)。青山斎場にて社葬
  • 山室仁作(34歳)、代表取締役社長に就任(二代目)
  • 「日光紙業株式会社」(宇都宮市、後に松本市へ移転)設立
  • 第1号4輪トラック6t車を購入

1960年代

1960(昭和35)年
  • 就業規則を明文化
1961(昭和36)年
  • 第1号フォークリフト導入
1962(昭和37)年
  • 「山室産業株式会社」設立
1963(昭和38)年
  • 「故紙卸売業」の業種指定なる(行政管理庁公示により)
  • 第1回山室会を常陽C.C.で開催
  • 葛飾店開設、業界で初めて大型プレス機を導入
  • 山室仁作、東京製紙原料直納商工組合 初代理事長に就任
1964(昭和39)年
  • 「株式会社山室」へ社名変更(決算期:11月)
  • 東京五輪の聖火リレーが葛飾店の前を通る
1966(昭和41)年
  • 山室仁作、全国製紙原料連合会 初代会長に就任(全国を行脚して主旨の説明に努め古紙業界の近代化に向けて組織化を図った)
  • 厚木店開設
1967(昭和42)年
  • 鉄筋4F建ての独身寮完成
1969(昭和44)年
  • 参加者500名の社内大運動会を開催(本州製紙グラウンドにて)
  • 「株式会社丸富」(川口市)設立、チリ紙交換基地として発足

1970年代

1971(昭和46)年
  • 「千葉紙業株式会社」(千葉市)設立
  • 鉄筋3F建ての海老名社宅完成
1974(昭和49)年
  • 山室仁作、(財)古紙再生促進センター 初代副理事長に就任(初代理事長には本州製紙社長・川口利朗氏が就任)
  • 前年の第一次オイルショック時の市況暴騰の反動による古紙大量余剰に対し(財)古紙再生促進センターが初めて行った共同備蓄事業に参加
  • 本州製紙釧路工場(現 王子マテリア株式会社)へ段ボール古紙を納入開始(段ボール原紙の「Kライナー」に段ボール古紙が使用開始される)
  • 厚木店にオランダ・ボア社の新型ベーラー導入。また第一号クランプリフト導入
1976(昭和51)年
  • 藤沢店開設。エンタープライズ社製ベーラー導入
  • 「本州山室古紙センター株式会社」(札幌市)設立(本州製紙との合弁)
1977(昭和52)年
  • 王子製紙株式会社苫小牧工場へ新聞用紙の原料(DIP)向けに新聞古紙をを納入開始。これにより新聞古紙の需要が急増していく
  • 山室仁作、全国製紙原料商工組合連合会初代理事長に就任
1978(昭和53)年
  • 山室仁作、関東製紙原料直納商工組合初代理事長に就任
1979(昭和54)年
  • 本社ビル(11階建て)建設委員会を発足

1980年代

1980(昭和55)年
  • 保土ヶ谷店開設
  • 隅田店開設(本店の現業部門を移管)
  • 本社ビル建設の為、本社を隣接の安藤ビルに仮移転
1981(昭和56)年
  • 本社ビル完成
1982(昭和57)年
  • 山室仁作死去(1月25日、享年57歳)。従五位勲四等瑞宝章を追贈さる。 青山斎場にて社葬。
  • 畑俊一(39歳)、代表取締役社長に就任(三代目)
  • 横浜店開設
1984(昭和59)年
  • 新聞販売店回収が始まり、一部回収業者による反対デモが押しかける
  • 旧汐留駅構内にてオフィス古紙回収および機密文書処理事業を開始
  • 幹部会を開始、当年度総括・次年度計画を討議(毎年11月)
  • 日光紙業(有)が松本事業所を開設
1985(昭和60)年
  • 自社開発コンピューターソフトの導入開始
1986(昭和61)年
  • 全社合同新年会を開始(社長年頭挨拶・永年勤続表彰)
  • 静岡県紙業振興大会で業界初の冨士市長賞受章
1987(昭和62)年
  • 「特販事業部」(後に「リサイクル開発部」へ改組)設置
1988(昭和63)年
  • 畑俊一、(財)古紙再生促進センター主催の北欧・欧州古紙事情調査団に参加(フィンランド、スウェーデン、オランダ、フランス、ドイツ)
1989(平成1)年
  • 平成5年の創業80周年を目指して「LET'S 5-80」スタート
  • 月刊社内報の発行を開始
  • 第100回山室会をスプリングフィールズC.C.で開催
  • 「有限会社サンアイプランニング」設立

1990年代

1990(平成2)年
  • 総労働時間の大幅短縮を実施
1991(平成3)年
  • 事業所表彰(優秀事業所賞・業務改善賞・環境保全賞)を新年会で開始
  • 厚木店に機密文書処理専門工場併設
  • 安全防火全体会議を開始(4月と11月の年2回)
1992(平成4)年
  • 畑俊一、関東製紙原料直納商工組合 理事長に就任(第1次構造改善事業開始)
  • 職能給を主体とした新賃金体系への移行開始
  • 松戸店開設(片岡紙業廃業により同ヤードを買収)
1993(平成5)年
  • 創業80周年
    浅草ビューホテルで記念パーティ開催
    山室初の社史「山室八十年の歩み」刊行
1994(平成6)年
  • 「ミニオフィス古紙回収事業」(台東区・東京商工会議所台東支部共催)に実施協力
1995(平成7)年
  • 畑俊一、全国製紙原料厚生年金基金 初代理事長に就任(平成28年に黒字優良基金ながら大勢に従って解散し、全国製紙原料企業年金基金として再出発)
  • 定年者(60歳)再雇用契約制度(65歳まで)を開始
1996(平成8)年
  • 畑俊一、東京都リサイクル事業団体連合会(現 社団法人東京都リサイクル事業協会)会長に就任(東京都の「ごみ減リサイクルの推進」に伴う問題点の解決に努めた)
  • 主要取引先である本州製紙(株)と新王子製紙(株)が合併し王子製紙(株)へ
1997(平成9)年
  • 畑俊一、財団法人古紙再生促進センター 副理事長に就任
  • 平成3年の「リサイクル法」施行により資源回収が急速に進み、古紙の大余剰と価格暴落が発生し、マスコミが大々的に報道するほど社会問題化した(全原連が総決起大会を挙行し社会に訴えた)。対策として古紙の赤字輸出を開始。また隅田店で業界で初めて雑誌古紙の買い止め(「家庭備蓄」)を実施。雑誌古紙の逆有償化が進む。
  • 廃棄物処理業「新日本産業株式会社」(東京都港区)買収
  • 行政回収に対応する為、隅田店と葛飾店が廃棄物再生事業者登録許可を取得
    (他の事業所も2003年までに取得完了)
1998(平成10)年
  • 畑俊一、全国製紙原料商工組合連合会 理事長に就任(第2次構造改善事業開始)
  • 「ごみ減リサイクルの推進」を掲げた青島幸男都知事が隅田店を視察に来訪
1999(平成11)年
  • 「丸仁製紙株式会社」閉鎖

2000年代

2000(平成12)年
  • 株式会社丸富(川口市)に機密文書処理専門工場併設
  • 厚木店第二工場(後に綾瀬店と名称変更)開設
  • 畑俊一、藍綬褒章 受章(東京會舘で受章パーティ開催)
2001(平成13)年
  • 新世紀の経営理念「KEEP TOP」を発表
  • 「ISO14001」認証取得(11事業所)
  • 中国市場の拡大に伴い古紙の輸出事業を本格化
2002(平成14)年
  • 畑俊一、(財)古紙再生促進センター主催の中国現地調査団に参加(上海、富陽、広州、北京)
2003(平成15)年
  • 創業90周年
2004(平成16)年
  • 中国「再生資源の国外供給業者登録制度」の認可取得
    (古紙、廃プラスチック、鉄・非鉄スクラップ、ウエス)
  • 隅田店と葛飾店が産業廃棄物処分業の許可取得
2005(平成17)年
  • 新日本産業梶uエコプラザ東京」を東京都江戸川区に開設
    産業廃棄物処分業の許可を取得し、ペットボトルや廃プラスチックの再資源化を開始
  • 本州山室古紙センター株式会社、「王子山室古紙センター株式会社」へ社名変更
2006(平成18)年
  • 廃プラスチック類の再資源化システムを確立
  • 畑俊一、社団法人東京都リサイクル事業協会 初代会長に就任
2007(平成19)年
  • 「プライバシーマーク」を取得
    (山室・新日本産業・丸富・千葉紙業)
  • ネットワークカメラを全ヤードに設置完了
  • 無人化自動計量システムを開発し、藤沢店から導入開始
2008(平成20)年
  • 創業95周年
  • 新日本産業瓦エコプラザ神奈川」を神奈川県相模原市に開設
    (ペットボトルやプラスチック類の再資源化工場)
  • 畑俊一、(株)商工組合中央金庫の上野中金会会長に就任
2009(平成21)年
  • 山室グループ、容リ協の紙製容器包装分で日本一の落札量達成
  • ホームページと会社案内パンフレットをリニューアル
  • 山室グループの連携を強化し「トータル・リサイクル・システム」を推進
  • 畑俊一、東京浅草ロータリークラブ会長に就任

2010年代

2010(平成22)年
  • 100周年を迎える2013年に向けて100周年準備委員会を発足
  • 「リサイクル開発部」を拡充し、トータル・リサイクルの提案型サービス体制を強化
  • 王子製紙鰍ヨRPF・フラフの直納開始
2011(平成23)年
  • (株)丸富が「イエローガエル」(つくば市)を開設し、古着の販売及び輸出業務を開始
  • 東日本大震災により地域で計画停電が発生、各店に自家発電機を導入
2012(平成24)年
  • 「イエローガエル」を(株)丸富から新日本産業(株)へ移管
2013(平成25)年
  • 創業100周年
  • 畑俊一(70歳)、春の叙勲で旭日小綬章 受章
    帝国ホテル東京で「100周年ならびに受章感謝の夕べ」を開催
    山室の記念社史「100年の軌跡、100年の挑戦。」刊行
  • 賃金体系を職務給制度に改定
  • 座間店開設
  • 厚木第二工場を綾瀬店に名称変更
  • 新日本産業(株)「つくば事業所」を開設し、「イエローガエル」を閉鎖
2014(平成26)年
  • 畑純一(42歳)、代表取締役社長に就任(四代目)
2016(平成28)年
  • 畑俊一、代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任
  • 元代表取締役会長山室あい死去(3月7日、享年90歳)
    東本願寺慈光殿にて社葬
  • 新日本産業(株)「東京事業所」を東京都葛飾区に開設し、「エコプラザ東京」を閉鎖
2017(平成29)年
  • 新日本産業(株)本社を移転
  • 日光紙業(有)八王子事業所を開設、同社の本社とする
2018(平成30)年
  • (有)サンアイプランニングで廃棄物の一元管理業務を開始
  • 第150回山室会を金乃台C.C.で開催
2019(令和  1)年
  • 自己資本比率80%達成

2020年代

2020(令和  2)年
  • 新日本産業梶u海老名事業所」を開設し、「エコプラザ神奈川」を閉鎖
  • 新型コロナウィルスの感染拡大に対し感染防止対策を社内に徹底
2021(令和  3)年
  • 中国が環境規制の一環として予告通り今年から古紙輸入の全面禁止を実施した。一方国内ではデジタル化によるペーパーレスが進んでおり新聞古紙や雑誌古紙などの古紙の発生減少が続く。従って古紙輸出も減少傾向
  • 山室グループ、容リ協の紙製容器包装分で日本一の落札量、9年連続で達成
  • 1年延期となった「2020東京五輪」がコロナの緊急事態宣言のもと無観客と酷暑の中で決行され、日本は史上最多の58個のメダルを獲得した。
2022(令和 4)年
  • プーチン・ロシアがウクライナへ侵攻。このロシアに対する経済制裁に伴い世界的にエネルギーや食料品の価格などが急騰した。一方国内では1ドル150円に迫る大幅な円安もあり諸物価が高騰、我々古紙問屋においても電気代、燃料費、番線代、運送費などが急上昇し、厳しいコスト状況に陥った。
  • 3年にわたるコロナ禍で当社も10人余の感染者を出した。今夏の第7波で収束するかと思われたが、再び全国で感染拡大傾向になり今冬の第8波が懸念された。
2023(令和 5)年
  • 創業110周年